2008年9月15日、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが破産を申請しました。内閣府の経済財政白書(2009年7月)は、この破綻を「リーマンショック」と呼んでいます。ただ、金融市場の混乱はこの日に始まったわけではありません。この記事では、破綻の前後に何が起き、日本の景気・輸出・雇用がどう動いたかを整理します。統計の数字と、政府・日本銀行の分析は分けて紹介します。
- リーマン・ブラザーズの破綻は、危機の始まりではない。内閣府は、2007年8月から2008年9月中旬までを金融市場の「混乱期」、破綻のあとを「金融危機」の時期に分けている
- 日本の景気の山は2008年2月で、破綻の7か月前。実質GDPは2008年4〜6月期から減り始め、破綻のあとの2つの四半期で大きく落ち込んだ
- 政府は2008年8月から12月に3つの経済対策を決め、規模は合計75兆円程度。最初の対策は破綻の前に決まっていた。効果の数字の多くは、政府自身の見込みや評価
01 リーマンショックとは?
リーマンショックは、名前だけ聞くと、1つの会社の倒産のように思えるかもしれません。
2008年9月15日、リーマン・ブラザーズは、アメリカの連邦破産法第11条の適用を申請しました。同じ日には、大手投資銀行のメリルリンチを、大手商業銀行のバンク・オブ・アメリカが買収すると発表されています。
この記事では、破綻そのものに加えて、そのあとに深まった世界的な金融危機までを扱います。
破綻の影響がここまで大きくなった事情を、内閣府の「世界経済の潮流」は次のように説明しています。それまで市場では、大手の金融機関はつぶれない、と考える人が多かった。規模が大きく、ほかの金融機関とのつながりも深いので、政府が救うだろうという見方です。リーマン・ブラザーズの破綻で、大手でもつぶれることがあると強く意識された。その結果、金融機関どうしが互いの財務を急に疑うようになった、という説明です。
02 破綻の前に何が起きていた?2007〜2008年の流れ
金融市場の動揺は、破綻の1年以上前から続いていました。
内閣府の「世界経済の潮流」(2008年II)は、この時期を3つに分けています。2007年8月までを「正常期」とすると、2007年8月のパリバ・ショックから2008年9月中旬までが「混乱期」です。リーマン・ブラザーズが破綻した2008年9月中旬からあとを、「金融危機」の時期としています。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2007年8月9日 | フランスの大手銀行BNPパリバが、傘下のファンドの償還を凍結。市場の混乱を受け、中央銀行が資金供給などで対応 |
| 2007年9月14日 | イギリスの住宅金融ノーザンロック銀行で取付け騒ぎ |
| 2008年3月16日 | JPモルガンがベアスターンズの買収に合意。FRBがプライマリーディーラー向けの貸出制度を導入 |
| 2008年9月7日 | 米政府が政府系住宅金融機関(GSE)への救済策を発表 |
| 2008年9月15日 | リーマン・ブラザーズが破産申請。バンク・オブ・アメリカがメリルリンチの買収に合意 |
| 2008年9月16日 | FRBが大手保険会社AIGに資金を融資 |
| 2008年9月29日 | 米下院が緊急経済安定化法案を否決 |
| 2008年10月3日 | 米国で緊急経済安定化法が成立 |
| 2008年10月8日 | 欧米6か国の中央銀行が協調利下げ |
| 2008年11月15日 | 金融・世界経済に関する首脳会合で宣言を発表 |
この表は、内閣府の「世界経済の潮流」(2008年II)の年表(第1-1-4表)から抜き出したものです。2008年3月16日の貸出制度と、9月16日のAIGへの融資(最大850億ドル)は、FRBの公表文でも確かめました。ベアスターンズとメリルリンチの欄は、その日に買収で合意したという意味です。ベアスターンズはFRBの報告書で、メリルリンチはバンク・オブ・アメリカの届出書類(Form 8-K)で確かめました。
破綻の前と後で、問題の中身も変わりました。内閣府によると、9月中旬までの問題は、主に2つでした。サブプライム住宅ローン問題をきっかけに短期の資金が回りにくくなったことと、一部の金融機関の経営不安です。破綻のあとは、金融の仕組み全体が揺らぐ問題になった、としています。
年表に並べてみると、リーマン・ブラザーズの破綻は、1年あまり続いた混乱の途中で起きた出来事です。始まりではなく、混乱が危機へと深まった節目として見ると、流れがつかみやすくなります。
03 なぜ危機は世界に広がった?
住宅ローンをめぐる問題が、どうして世界の金融危機にまでなったのでしょうか。
内閣府の「世界経済の潮流」は、サブプライム住宅ローン問題を発端としつつ、「あくまできっかけに過ぎず」と書いています。そのうえで、危機の根本にある金融機関の問題として、次の3つを挙げています(同資料の第1章のポイント)。
- 金融機関のリスク管理が適切でなかったこと(証券化商品や、帳簿の外に置いた機関の扱いなど)
- 短い期間で借りる資金に頼り、借り入れで投資を大きく膨らませる(高レバレッジ)ビジネスモデル
- 格付機関が、リスクを実際より小さく評価していたこと
あわせて、規制や監督をする当局の側も、新しい金融商品の広がりに追いつけず、対応が足りなかったとしています。
内閣府は、ヨーロッパの場合はアメリカ発の影響だけでは説明しきれないとみています。金融機関のレバレッジがアメリカより高かったことや、住宅価格のバブルがはじけたことを挙げています。
内閣府は、1929年10月にアメリカで株価が暴落して始まった世界大恐慌とも、今回の危機を並べて検討しています。今回の危機は、規模では実物経済・金融とも今のところ小さいとしつつ、違いとして次の点を挙げました。危機が世界規模で起きていること、広がる速さ、証券化によって中身が複雑になっていることです。
1つの会社の名前で呼ばれていても、内閣府の分析では、原因は金融の仕組み全体の問題として整理されています。
04 日本の景気はどう動いた?
日本の景気は、リーマン・ブラザーズの破綻より前に、すでに後退に入っていました。
内閣府の景気基準日付では、第14循環の景気の山は2008年2月、谷は2009年3月です。山は破綻の7か月前にあたり、後退の期間は13か月でした。
実質GDPの前期比を四半期ごとに見ると、次のようになります。
| 四半期 | 前期比 | 年率に換算した数字 |
|---|---|---|
| 2008年1〜3月期 | 0.2% | 0.8% |
| 2008年4〜6月期 | −0.5% | −1.9% |
| 2008年7〜9月期 | −1.1% | −4.4% |
| 2008年10〜12月期 | −2.4% | −9.2% |
| 2009年1〜3月期 | −4.4% | −16.6% |
| 2009年4〜6月期 | 1.1% | 4.6% |
出典は、内閣府経済社会総合研究所の四半期別GDP速報(2026年4〜6月期の2次速報値)の実質季節調整系列です。2020暦年連鎖価格で、2026年9月8日に公表されたものです。いま公表されている改定後の数字で、2008〜2009年の当時に発表された数字とは違うものがあります。
実質GDPは、破綻より前の2008年4〜6月期からマイナスでした。7〜9月期も前期比1.1%減です。大きく落ち込んだのは、破綻のあとの2つの四半期です。2008年10〜12月期が2.4%減、2009年1〜3月期が4.4%減でした。
年率に換算すると、2008年10〜12月期は9.2%減、2009年1〜3月期は16.6%減です。年率は前期比を年率に換算した数字で、1年間で実際に減った幅ではありません。読み方はGDPとはで説明しています。
年度で見ると、2008年度の実質GDPは前年度比3.3%減、2009年度も3.1%減でした。
経済財政白書は、この景気後退を、リーマンショックの前と後の2つの段階に分けています。前の段階は、原油や原材料の値上がりで所得が海外に流れたことなどを背景にした、比較的緩やかな後退でした。それが2008年秋以降、輸出の急な落ち込みとともに、急速な悪化に変わったとしています。
白書の整理では、すでに弱まっていた景気が、破綻のあとに一気に悪くなった、という順番になります。
05 輸出・雇用はどうなった?
この記事で取り上げる統計の中で、減り方が際立っていたのは輸出です。
同じGDP速報の系列で、実質の輸出(財貨・サービス)を見てみます。2008年10〜12月期に前期比12.6%減、2009年1〜3月期に25.5%減でした。
財務省の貿易統計で輸出額(名目・暦年)を見ると、2008年は約81.0兆円、2009年は約54.2兆円です。1年でおよそ3分の1減った計算になります。GDPの輸出は物価の動きを除いた実質の数字、貿易統計は金額のままの数字なので、2つの減り方はそのままは比べられません。
雇用の数字は、次のとおりです。
| 統計 | 2008年9月 | その後 |
|---|---|---|
| 完全失業率 | 4.0% | 5.5%(2009年7月) |
| 有効求人倍率 | 0.84倍 | 0.42倍(2009年8月) |
完全失業率は、総務省統計局「労働力調査」の長期時系列にある季節調整値で、いま公表されている改定後の値です。有効求人倍率は、厚生労働省「一般職業紹介状況」で、その月の分として当時発表された季節調整値です。2つは数字を取り出した時点が違うので、この表の数字どうしを計算でつないではいません。
完全失業率は、2008年9月の4.0%から、2009年7月には5.5%まで上がりました。有効求人倍率は、2008年9月分の発表で0.84倍でした。2009年8月分は0.42倍で、厚生労働省は当時、これを「過去最低」と発表しました。
白書は、失業率を、景気より遅れて動く「遅行指標」としています。そのうえで、有効求人倍率の下がり方は、白書の時点で最近3回の後退局面より速かったと分析しています。
06 日本の落ち込みは、なぜ大きかった?
金融危機の中心はアメリカでしたが、日本の落ち込みは小さくありませんでした。
経済財政白書は「リーマンショック後の日本のGDPの落ち込みは、主要先進国の中で最大であった」と書いています。直接の原因としては、輸出から輸入を引いた外需が大きく減り、その影響が国内の経済にも及んだことを挙げています。
白書の公表にあたって経済財政政策担当大臣が示した整理は、次のような流れです。
- 出発点は、アメリカで自動車などの個人消費が崩れたこと
- 日本の輸出は自動車やIT製品などの割合が高く、そこが大きく傷んだ
- 激しい在庫の調整も重なり、「先進国の中でも最大のマイナス成長」になった
日本銀行も、2009年4月の展望レポートで、2008年秋以降に世界経済が「同時かつ急速に悪化した」としています。日本経済については「大幅に悪化している」と判断し、輸出が著しく減ったこと、設備投資が大きく落ちたことを挙げています。
これらは、政府と日本銀行による分析です。輸出の統計が減ったという事実だけから、アメリカの金融不安が日本の落ち込みを招いたと言い切ることはできません。この記事では、因果の説明は、分析した機関の見方として紹介しています。
07 各国と日本はどんな対策をとった?
危機が深まると、中央銀行と政府は相次いで手を打ちました。この節では、いつ何を決めたかだけを並べ、効果の評価は次の節で分けて紹介します。
アメリカと各国
- 2008年9月16日:FRBが、AIGに最大850億ドルを融資することを認めた(FRBの公表文)
- 2008年9月18日:日本銀行を含む6つの中央銀行が、そろってドル資金の供給策を発表。FRBは日本銀行と新しいスワップ協定を結び、日本銀行が供給できるドル資金は最大600億ドルとされた(FRBの公表文)
- 2008年10月3日:アメリカで緊急経済安定化法が成立。財務省に、7,000億ドルのTARPを実施する権限を与えた(内閣府の資料)
- 2008年10月8日:内閣府の年表によると、欧米6か国の中央銀行がそろって政策金利を下げた。FRBは政策金利の誘導目標を1.5%に下げた(FRBの公表文)
- 2008年11月14・15日:ワシントンで「金融・世界経済に関する首脳会合」(いわゆる金融サミット)。20か国と国際機関が参加し、首脳宣言を出した(内閣府の資料)
- 2008年12月16日:FRBが政策金利の誘導目標を0〜0.25%の範囲に下げた(FRBの公表文)
日本銀行
日本銀行は、政策金利(無担保コールレート翌日物)の誘導目標を2回下げました。2008年10月31日に0.5%前後から0.3%前後へ、12月18・19日の会合で0.1%前後へ、という順番です。
11月16日からは、補完当座預金制度を時限措置として始めました。制度のしくみは政策金利とはで紹介しています。米ドル資金の供給や、CP・社債の買入れといった、新しいオペの手段も導入しています。
政府の経済対策
政府は、2008年8月から12月にかけて、3つの経済対策を決めました。
| 決定日 | 対策 | 規模 |
|---|---|---|
| 2008年8月29日 | 安心実現のための緊急総合対策 | 11.5兆円程度 |
| 2008年10月30日 | 生活対策 | 26.9兆円程度 |
| 2008年12月19日 | 生活防衛のための緊急対策 | 37兆円程度 |
| 合計(重複を除く) | 75兆円程度 |
この表は、内閣府が2009年3月にまとめた3つの対策のポイントの資料から取った数字です。最初の安心実現のための緊急総合対策は8月29日の決定で、リーマン・ブラザーズの破綻より前に決まっています。破綻の前に決まった対策も、75兆円程度という合計に入っている点に注意が必要です。
75兆円程度は事業の規模で、国が支出する額と同じではありません。内閣府の資料では、合計のうち財政措置は12兆円程度で、金融措置が63兆円程度です。たとえば生活対策では、信用保証協会の緊急保証と政府系金融機関などの貸付を、あわせて合計30兆円規模にするとしています。
政府は2009年4月10日に、この3つとは別に経済危機対策を決めました。総事業規模は56.8兆円程度で、そのうち国費は15.4兆円程度です。
08 対策の効果はどう評価されている?
対策の効果を示す数字の多くは、対策を実施した側による見込みや評価です。誰の評価で、いつの時点のものかを分けて見ていきます。
政府の事前の試算
内閣府は2009年4月、経済危機対策について、2009年度の実質GDP成長率を2%程度押し上げると見込みました。雇用は、40〜50万人程度が生まれるとしています。内閣府自身も、数値は幅をもって考えるべきものだと断っています。どちらも、対策を決めた時点の見込みです。実際に測った効果ではありません。
実際に記録された数字
実際の2009年度の実質GDPは、前年度比3.1%減でした(現在の系列)。景気の谷は2009年3月です。ただ、これらは対策がなかった場合と比べた数字ではありません。対策がどれだけ景気を押し上げたのかは、この数字からは分かりません。
政府の中間評価
内閣府は2009年7月の資料で、景気はなお厳しいと書いています。そのうえで、「経済対策の効果もあり、このところ持ち直しの動きがみられる」という判断でした。個人消費の項目では、定額給付金、エコカー減税・補助、エコポイントの効果を挙げています。これは政府自身による評価です。
日本銀行の自己評価
日本銀行金融市場局は、2009年6月の報告で、2008年度の金融市場調節を振り返っています。
- コールレートは、年度を通じて誘導目標の水準の近くで、おおむね落ち着いていた
- 年末からは、企業や金融機関がお金を集めやすい状況に少しずつ戻ってきた
- ただし全体としては、金融市場の緊張も、企業の資金繰りの厳しさも続いた
これは、市場調節を担った日本銀行自身による振り返りです。その後の物価の動きについては、デフレとはで説明しています。
09 よくある質問
リーマンショックで金融危機が始まった?
始まりではありません。内閣府は、2007年8月のパリバ・ショックから金融市場の「混乱期」が続いていたとみています。2008年9月中旬のリーマン・ブラザーズの破綻を境に、「金融危機」の時期に入ったという区分です。破綻は、混乱が危機へと深まった転機にあたります。
日本の景気後退は、リーマンショックが原因?
景気の後退は、破綻の前から始まっていました。内閣府の景気基準日付では、景気の山は2008年2月です。経済財政白書は、破綻の前の緩やかな後退と、破綻のあとの急速な悪化という2つの段階に分けて分析しています。
75兆円の対策は、リーマンショックのあとに決まった?
すべてが破綻のあとではありません。3つの対策のうち、最初の安心実現のための緊急総合対策は、破綻より前の2008年8月29日に決まっています。2009年4月の経済危機対策(総事業規模56.8兆円程度)は、75兆円程度とは別の対策です。
日本がそれより前に経験した金融機関の危機は、バブル崩壊とはで紹介しています。
- リーマンショックは、2008年9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻と、そのあと深刻になった世界的な金融危機のこと
- 金融市場の混乱は2007年8月から続いていた。内閣府は破綻を境に「金融危機」の時期に入ったと区分している
- 日本の景気の山は2008年2月で、破綻の前から後退していた。実質GDPは破綻のあとの2つの四半期で大きく落ち込んだ
- 2008年8月から12月の3つの経済対策は合計75兆円程度で、最初の対策は破綻の前に決まった。事業の規模は、国が支出する額とは違う
- 対策の効果の数字は、政府の事前の試算や中間評価、日本銀行の自己評価が中心。実際に記録された数字とは分けて読む

