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「円」はいつから?1871年の新貨条例と、円という名前の由来

編集:お金をめぐる編集部 公開 更新 約5分で読めます
積み上げた硬貨の上に座って向かい合う2体の人形
目次
  1. 「円」はいつから?
  2. 円の前はどんな単位だった?
  3. 円・銭・厘はどんな関係?
  4. なぜ「円」という名前なの?
  5. 銭や厘は今も使われている?
  6. よくある質問

財布の中のお金は、どれも「円」で数えます。この単位が決まったのは、1871年(明治4年)の新貨条例です。今年で155年になります。それまでの両・分・朱とは数え方がまったく違い、名前の由来には今もはっきりしない部分が残っています。

  1. 「円」は、1871年(明治4年)の新貨条例で決まったお金の単位。それまでは両・分・朱などが使われていた
  2. 新貨条例で、1円=100銭=1000厘の十進法になった。江戸時代の金貨は1両=4分=16朱の4進法だった
  3. なぜ「円」という名前になったのかは、当時の資料がなくはっきりしていない(造幣局)。形が丸いからなど、いくつかの説がある

「円」はいつから?

始まりは、明治政府が定めた新貨条例です。造幣局によると、お金の単位「円」は、明治4年の新貨条例で決められました。造幣局は、新貨条例を、近代的な通貨の法律としては日本で初めてのものと位置づけています。

公布は1871年(明治4年)の5月でした。造幣局が創業式を開いたのも同じ1871年で、新しいお金の制度と、それを作る工場が同じ年に動き出しています。

円の前はどんな単位だった?

江戸時代のお金は、今とはしくみが違いました。貨幣博物館によると、江戸時代には金貨・銀貨・銭貨の3種類のお金が使われていて、三貨制度と呼ばれます。

種類数え方
金貨1両=4分=16朱(4進法)
銀貨重さで数える(1匁は約3.75g)
銭貨1枚=1文(1,000文=1貫文)

3種類の間には、幕府が決めた公定相場がありました。18世紀の公定相場では、金1両が銀なら60匁、銭なら4,000文にあたりました。ただし、実際の交換は時価相場で行われていた、と貨幣博物館は説明しています。新貨条例は、こうした両・分・朱の単位を、円・銭・厘に切り替えました。

円・銭・厘はどんな関係?

新しい単位は、十進法で繰り上がるしくみです。銭は円の100分の1、厘は銭の10分の1と決められ、1円=100銭=1000厘になりました。4進法の両・分・朱から、十進法に変わったことになります。

貨幣博物館は、新貨条例で金貨本位制がとられ、金1.5g=1円とされたと説明しています。造幣局の年表のほうは、制度の中身を「実質的に金銀複本位制」と表しています。

2つの書き方の違いは、日本銀行の広報誌の説明でつながります。1878年(明治11年)に、貿易用の1円銀貨が国内でも無制限に通用するようになり、制度は建前の上では金本位、実質的には金と銀の両方を基準にする形になった、という説明です。

新貨条例では、金貨を本位の貨幣とし、補助の貨幣として50銭以下の銀貨と銅貨を作ることが決められました。これとは別に、海外の貿易で使う1円銀貨も作ることになりました。アジアとの取引で支払いに使われていたのが、おもに銀貨だったからです。

銅貨には、あとから加わったものがあります。二銭銅貨で、太政官布告によって新しく決まったのは1873年(明治6年)8月です。造幣局の年表では、新貨条例にもとづいて作られたのは、金貨5種、銀貨4種、銅貨4種です。

最初の1円には金貨と銀貨の2種類があり、金貨の1円は重さ1.67gでした。造幣局は、この金貨が江戸時代の1両と同じくらいの価値がある高価なお金として扱われていた、と紹介しています。日本銀行の広報誌によると、新貨条例には、それまでの1両を1円とする決まりも入っていました。今の1円玉の話は1円玉はなぜアルミ?で取り上げています。

なぜ「円」という名前なの?

いちばん気になるところですが、答えは決まっていません。造幣局の答えは、説はいくつもあるが、確かめられる当時の記録が残っていないので、はっきりしない、というものです。そのうえで、有力な説として2つを挙げています。

  • 硬貨の形が丸いから
  • 当時の香港の銀貨が「円」を単位にしていたから

貨幣博物館も、説として3つを紹介しています。

  • お金の形をすべて円形にそろえたので「円」と名付けた
  • 中国で西洋の丸い銀貨を「銀円」「洋円」と呼んでいたことが幕末に伝わり、両を「円」と言うことがあった
  • 香港にあったイギリスの造幣局から機械を譲り受け、香港の銀貨の名前「一円」を使った

どの説が正しいとは、どちらの資料も言い切っていません。円に決まる前には「元」にする案もあったらしい、と造幣局は付け加えています。

銭や厘は今も使われている?

銭の単位がなくなった経緯は、貨幣博物館が説明しています。戦後の激しいインフレで、銭の単位のお金は事実上、使い道がなくなりました。そして1953年(昭和28年)の末に、銭や厘の単位のお金は通用しなくなり、実際に使うお金は円の単位だけになりました。新貨条例から82年後のことです。

ただ、法律の言葉としては、銭と厘は今も残っています。今の通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律では、お金の額面は1円の整数倍とされる一方で、1円未満の金額を計算する単位として銭と厘が定められています。銭は円の100分の1、厘は銭の10分の1です。

よくある質問

「YEN」と書くのはいつから?

造幣局によると、明治5年から、円をローマ字で「YEN」と書いています。「EN」だと外国の人が発音しにくいから、などの説がありますが、理由もはっきりしていないとしています。

今の硬貨はいつそろった?

戦後に今の硬貨がそろうまでの流れは、日本の硬貨の歴史にまとめています。貨幣や通貨という言葉の違いは貨幣・紙幣・硬貨・通貨の違いで整理しています。

  • 「円」は1871年(明治4年)の新貨条例で決まった単位。それまでは金貨の両・分・朱、銀貨の匁、銭貨の文が使われていた
  • 新貨条例で1円=100銭=1000厘の十進法に。最初の金貨の1円は、江戸時代の1両と同じくらいの価値として扱われた
  • 円という名前の由来は、当時の資料がなくはっきりしていない。銭や厘の単位のお金は1953年末に通用しなくなったが、法律には今も計算単位として残っている

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