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世界最初の紙幣はどこで生まれた?中国の交子から世界のお札の歴史をたどる

編集:お金をめぐる編集部 公開 約8分で読めます
世界最初の紙幣はどこで生まれた?中国の交子から世界のお札の歴史をたどる
目次
  1. 紙幣が生まれる前、何がお金だった?
  2. 中国・宋の「交子」とは?
  3. 民間の交子と政府の交子はどう違う?
  4. 元の時代、紙幣はどう使われた?
  5. ヨーロッパで銀行券が生まれたのはいつ?
  6. 日本ではいつ紙のお金が使われ始めた?
  7. 3つの始まりに共通することは?
  8. 現代の紙幣につながる変化とは?
  9. よくある質問

財布の中のお札は、紙そのものに価値があるわけではありません。それでも私たちは、千円札なら千円分の買い物ができると信じて使っています。では、人は最初、どこで、どんなきっかけで紙をお金として使い始めたのでしょうか。この記事では、一般に世界最初の紙幣と紹介される中国の交子から、ヨーロッパの銀行券、日本の山田羽書まで、3つの始まりをたどります。今の日本銀行券の仕組みは日本銀行券とはで紹介しています。

  1. 一般に世界最初の紙幣と紹介されるのは、中国・宋の時代に四川で生まれた交子。民間の交子は10世紀末に現れたとされ、政府の交子は1024年に始まった
  2. ヨーロッパでは1661年、スウェーデンのストックホルム銀行が銀行券を出した。日本最古の紙幣は、1600年頃の伊勢の山田羽書
  3. どの始まりにも、重い金属のお金より便利だったことと、出しすぎて価値が下がったことが記録されている

紙幣が生まれる前、何がお金だった?

紙幣の話は、金属のお金の不便さから始まります。宋の時代の中国では、銅でできた銭が広く使われていました。ところが四川の地域では、銅銭よりも価値の低い鉄銭が使われていました。

中国の博物館の展示を紹介した記事によると、鉄銭は重く、持ち運びにも向いていませんでした。この不便さが、紙のお金が生まれるきっかけになったと説明されています。

中国・宋の「交子」とは?

交子は、四川の商人が出した紙の券です。研究者の何平の論考が引く宋の時代の歴史書には、四川の人々が鉄銭の重さに困り、取引に使う券を自分たちで作ったと書かれています。その券が交子です。

仕組みは、今でいう預り証に近いものでした。人が現金を持ち込むと、代わりに交子を渡します。はじめは1軒の店が出していましたが、やがて16戸の裕福な商人が共同で出すようになりました。遠く離れた場所でも通用する券として、商人たちの取引で広まっていきます。

中国銭幣博物館の展示を紹介した人民周刊の記事では、民間の交子が10世紀末に現れたとしています。

民間の交子と政府の交子はどう違う?

民間の交子には、弱いところがありました。何平の論考が引く歴史書によると、やがて発行した商人の財力が衰えて払い戻せない騒ぎが起き、争いが何度も起こりました。

そこで政府が乗り出します。宋の天聖元年11月に、政府が交子を扱う役所を設けることを決めたという記録があります。人民周刊の記事は、これを現在の暦で1024年1月としていて、官の交子もその年に発行されたと説明しています。何平の論考は、この役所の始まりを1023年とし、実際の発行と流通は1024年からとしています。

ただし、官の交子も長くは続きませんでした。人民周刊の記事によると、戦費のために発行に限りがなくなり、1107年には銭引という別の紙幣に改められました。政府の交子が始まってから約80年後のことです。

ここで「最初」の意味を整理しておきます。何を最初と呼ぶかで、答えが変わります。

何の「最初」か答え
民間の紙のお金交子(10世紀末とされる)
政府の紙幣官の交子(1024年)
現存する実物元の時代の紙幣(中国の記事の紹介)
ヨーロッパの銀行券ストックホルム銀行(1661年)
日本の紙幣山田羽書(1600年頃)

人民周刊の記事は、1024年に政府が交子を出したことをもって「世界上最早的纸币」、つまり世界で最も早い紙幣が生まれたと書いています。ただ、交子の実物は残っていません。

元の時代、紙幣はどう使われた?

宋の後の元の時代には、紙幣がお金の主役になります。日本銀行の貨幣博物館の解説によると、元は紙幣をお金の中心に置き、銭を使うことを禁じました。そのため、13世紀後半には中国の銭貨が大量に国の外へ出ていきました。

中国銭幣博物館の展示を紹介した記事では、元の時代の紙幣を、現在まで残る最古の紙幣の実物として紹介しています。同じ記事は、紙幣の出しすぎで元の時代を通じて物価が大きく上がったとも書いています。

ヨーロッパで銀行券が生まれたのはいつ?

ヨーロッパの銀行券は、官の交子から600年以上あとに登場します。スウェーデンの中央銀行(リクスバンク)は、1661年にストックホルム銀行が、ヨーロッパで最初の本格的な銀行券を出したと説明しています。

きっかけは、1660年に国が、それまでより軽い新しい硬貨を作り始めたことでした。金属としての価値が高い、重い古い硬貨を返してほしいと、預けた人たちが銀行に押し寄せます。銀行はこれに対応しようと、預けたお金を硬貨で引き出せる証書を出し始めました。

この銀行券は、重くかさばる銅貨より便利だったので、すぐに広まりました。ところが銀行は券をどんどん刷り、価値が下がっていきます。信用を失った人々が払い戻しを求めると、銀行は硬貨が足りず、最後は破綻しました。国は1664年に券の回収を決めています。

ストックホルム銀行の跡からは、1668年に新しい銀行が生まれました。日本銀行によると、これが現存する中央銀行の中で最も古い、今のリクスバンクです。イングランド銀行は1694年の設立です。

日本ではいつ紙のお金が使われ始めた?

日本銀行の貨幣博物館は、日本最古の紙幣を、1600年頃に伊勢山田地方で使われ始めた山田羽書としています。伊勢神宮の御師(神職)が、銀貨のお釣りの代わりに出した預かり証でした。羽書という名前には、端数を書きつけたもの、という意味があります。

当時の銀貨は、重さを量って使う秤量銀貨でした。山田羽書は、この銀貨で払うときの細かい差額を、紙の証書で渡す形でした。やがて伊勢の地域では、この証書がお金として通用するようになります。

その後、江戸時代には各地で私札や藩札が出されました。藩札は、藩の財政の赤字を埋めたり、小さな額のお金の不足を補ったりする目的で出され、幕末までに約8割の藩が発行しています。うまく流通した藩札がある一方で、乱発により価値が下がった藩札もありました。

明治に入ると、1868年の太政官札などの政府紙幣、国立銀行紙幣を経て、1882年に日本銀行ができます。1885年に日本銀行券が発行され、政府紙幣と国立銀行紙幣は1899年に通用しなくなりました。日本のお札の移り変わりは日本のお札の歴史で紹介しています。

3つの始まりに共通することは?

中国、ヨーロッパ、日本では、時代も事情も違います。四川では鉄銭の重さ、スウェーデンでは軽い新硬貨をきっかけにした取り付け騒ぎ、伊勢では銀貨のお釣りの不便さが出発点でした。

それでも、資料を並べると2つの共通点が見えてきます。

  • 便利さ:重い金属のお金を運んだり、細かく分けたりする代わりに、紙の券が使われた
  • 信用:出す側が払い戻しに応じられるか、出しすぎないかで、紙の価値が決まった

交子は払い戻せない騒ぎをきっかけに政府の手に移り、ストックホルム銀行は刷りすぎて破綻しました。紙のお金は、出す人を信じられるかどうかに支えられていたことが分かります。

現代の紙幣につながる変化とは?

交子もストックホルム銀行の券も、持ち込んだお金や硬貨と引き換えられることが前提でした。日本でも、1885年に出た最初の日本銀行券は、銀貨と引き換える約束のついたお札でした。

今は違います。日本銀行の貨幣博物館によると、日本は1942年の日本銀行法で管理通貨制度に移りました。今の日本銀行券は金と引き換えられません。お札をどれだけ出すかは、日本銀行が調節しています。金と引き換えられるお札とそうでないお札の違いは兌換紙幣と不換紙幣、出しすぎたお金の価値が下がる仕組みはインフレとはで紹介しています。

よくある質問

世界最初の紙幣の実物は残っている?

交子の実物は残っていません。中国銭幣博物館の展示を紹介した記事では、元の時代の紙幣を、現在まで残る最古の紙幣の実物として紹介しています。

日本最古の紙幣は?

日本銀行の貨幣博物館によると、1600年頃に伊勢山田地方で使われ始めた山田羽書です。

紙幣は中国から日本やヨーロッパに伝わった?

この記事で使った資料には、中国の紙幣がヨーロッパや日本の紙幣に伝わったという記述はありません。それぞれの地域で、別々の事情から紙のお金が使われ始めたことが記録されています。

  • 一般に世界最初の紙幣と紹介される交子は、四川で鉄銭が重かったことから生まれた。民間の交子は10世紀末とされ、政府の交子は1024年に始まった
  • 交子の実物は残っていない。中国の記事は、元の時代の紙幣を現存する最古の実物として紹介している
  • ヨーロッパでは1661年のストックホルム銀行が最初の銀行券を出した。便利で広まったが、刷りすぎで破綻した
  • 日本最古の紙幣は1600年頃の山田羽書。江戸時代には約8割の藩が藩札を出した
  • 紙のお金は、便利さと、出す側への信用に支えられてきた。今の日本銀行券は金と引き換えられず、どれだけ出すかは日本銀行が調節している

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