明治から戦前にかけての日本のお札は、日本銀行に持っていけば、銀や金に引き換えてもらえる約束つきのお札でした。では、財布の中の今の一万円札も、金に引き換えてもらえるのでしょうか。答えは「いいえ」です。引き換えの約束があるお札を兌換紙幣、約束のないお札を不換紙幣と呼びます。その違いと、日本のお札が交換の約束をなくすまでを、日本銀行と貨幣博物館の資料でたどります。
- 兌換紙幣は、求められたら金や銀に替えると約束して出すお札。不換紙幣には、その約束がない
- 日本銀行券は1885年に銀に替えられるお札として始まり、1897年から金に替えられるお札になった。1931年12月に金との引き換えが止まった
- 今の日本銀行券は金に替えられないが、日本銀行法で「法貨として無制限に通用する」とされている。約束がないから値打ちがない、ということではない
01 兌換紙幣とは?
兌換紙幣は、お札を出した銀行が「持ってきてもらえれば、同じ額の金や銀に替えます」と約束したお札です。日本で言えば、明治に民間の国立銀行が出したお札や、戦前の日本銀行券がこれに当たる、と貨幣博物館は説明しています。
「兌換」は、引き換えることを指します。紙のお札そのものではなく、その裏にある金や銀との交換の約束が、お札の値打ちを支える形でした。
02 不換紙幣とは?
不換紙幣は、金や銀に替える約束がないお札です。明治のはじめに政府が出した紙幣も、貨幣博物館の説明では、実際には金貨や銀貨に替えてもらえないお札でした。
引き換えの約束がないからといって、値打ちのないお札というわけではありません。今の日本のお札も金には替えられませんが、毎日の買い物にそのまま使われています。
03 今の一万円札は、金に交換できる?
できません。貨幣博物館によると、管理通貨制度に移ってからは、お札を金貨に替えることはできなくなりました。出回るお金の量は、中央銀行が調整するようになっています。
それでも、今の日本銀行券はお金として使われています。日本銀行法第46条第2項は、日本銀行が出す銀行券は「法貨として無制限に通用する」としています。
ただし、法律で通用すると決まっていることと、1万円でどれだけの物が買えるかは別の話です。買える量は、物価によって変わります。日本銀行法は第2条で、物価の安定を図ることを、日本銀行が通貨と金融の調節を行うときの理念にしています。日本銀行の説明でも、お札の値打ちを安定させるのは、日本銀行が持っている資産そのものではありません。金融政策をきちんと行うことだとされています。
04 日本のお札は、いつまで兌換紙幣だった?
日本銀行券は、1885年に銀に替えられるお札として始まりました。交換の相手が銀から金に変わり、やがて交換そのものが止まり、法律の上でも交換の仕組みがなくなります。いくつもの出来事が数年おきに重なるので、出来事ごとに分けて並べました。
| 年 | 出来事 | 資料 |
|---|---|---|
| 1885年 | 日本銀行券(日本銀行兌換銀券)の発行が始まる。銀貨と交換できた | 貨幣博物館 |
| 1897年 | 金0.75g=1円とする貨幣法を制定し、金本位制を確立。お札は金貨と交換できる日本銀行兌換券に | 貨幣博物館 |
| 1917年9月 | 金の輸出を禁止 | 日本銀行の沿革 |
| 1930年1月 | 金の輸出を解禁 | 日本銀行の沿革 |
| 1931年12月 | 13日に金の輸出を再び禁止。17日に金貨兌換停止の緊急勅令を公布・施行し、金本位制から離脱 | 日本銀行百年史・貨幣博物館 |
| 1932年1月 | 28日、議会の承諾を得られなかった緊急勅令が失効し、同じ内容の勅令を新たに公布。日本銀行の沿革は、この月を事実上の管理通貨制への移行としている | 日本銀行百年史・日本銀行の沿革 |
| 1941年 | 金や銀を準備として持つ義務(正貨準備義務)を撤廃 | 日本銀行金融研究所 |
| 1942年 | 日本銀行法で兌換制度を廃止。券面の金貨引換の文言が消え、日本銀行兌換券は日本銀行券に | 貨幣博物館 |
金の輸出を止めたり再開したりすることと、お札の兌換の停止、金本位制からの離脱は、それぞれ別の出来事です。1931年12月には、金の輸出の再禁止と兌換の停止が同じ月に重なりました。
1931年12月と1932年1月の関係は、日本銀行百年史がくわしく書いています。金の輸出の再禁止は12月13日、兌換を止める緊急勅令の公布・施行は4日後の17日でした。緊急勅令は次の議会の承諾が必要でしたが、議会は承諾しないまま解散し、1932年1月28日に失効します。同じ日に、同じ内容の勅令が改めて公布されました。管理通貨制度への移行は、資料によって区切りの年が違います。金融研究所の解説は正貨準備義務が撤廃された1941年、貨幣博物館は日本銀行法が公布された1942年としています。日本銀行の沿革によると、日本銀行法は1942年3月に一部が施行され、このとき兌換銀行券条例が廃止されました。銀との交換で始まってから、法律で交換の仕組みがなくなるまで、約60年かかったことになります。
お札の種類の移り変わりは日本のお札の歴史で、「円」という単位の始まりは「円」はいつから?で紹介しています。
05 明治のはじめの紙幣は、なぜ交換できなかった?
明治政府も、最初は金や銀に替えられる紙幣の仕組みを目指していました。しかし貨幣博物館によると、当時の日本は金銀が不足していたため、引き換えは実現しませんでした。政府の紙幣は、金貨や銀貨に替えられないお札のまま出回りました。
1872年の国立銀行条例では、民間の国立銀行に、金に替えられる紙幣を出させる仕組みも作られました。ところが1876年の条例改正で、国立銀行紙幣も事実上の不換紙幣になります。翌1877年の西南戦争では、政府が戦費を不換紙幣の増発でまかないました。紙幣で測った米の値段は、西南戦争の前の2倍に跳ね上がり、紙幣の値打ちは大きく下がりました。
1881年に大蔵卿になった松方正義は、紙幣の値打ちが下がったのは不換紙幣を出しすぎたためと考えました。そして、不換紙幣の整理を進めます。日本銀行ができ、紙幣の値打ちが戻るのを待って、1885年に銀に替えられる日本銀行券が出されます。物の値段が全体として上がる動きについては、インフレとはで紹介しています。
06 兌換紙幣のころ、日本銀行は何を用意していた?
交換の約束を守るには、引き換える金や銀が手元に要ります。兌換紙幣を出していた時代、日本銀行には、制度で決められた金や銀などの準備を持つ義務がありました。持ち主から交換を求められたら、いつでも応じなければならなかったからです。金融研究所の解説によると、準備には金や銀のほか、一定の限度内で公債などの資産も含まれていました。
この義務は、その後撤廃されました。それでも日本銀行は、今もお札を自分の帳簿の負債として計上しています。日本銀行は、お札を「債務証書」のようなものと説明しています。信頼を保たなければならないという点は、兌換の時代から変わっていない、という説明です。お札と日本銀行の関係は、日本銀行券とはでも紹介しています。
07 金本位制と兌換紙幣は同じもの?
似た場面で出てきますが、同じものではありません。日本銀行金融研究所の解説では、本位貨幣制度とは、円の値打ちを金や銀といった「モノ」に結びつけて決める仕組みのことです。結びつける相手には、金や銀などの貴金属が使われました。金を使えば金本位制、銀を使えば銀本位制になります。
兌換制度は、その関係を守るための手段の一つです。お札と決まった量の金や銀との交換を保証することで、通貨の価値と金や銀の価値を結びつけます。金本位制という仕組みの中で、お札を兌換紙幣にしていた、という関係です。さかのぼると、1871年の新貨条例でも、1円を純金1.5g分の値打ちとする決まりがありました。
08 よくある質問
昔の兌換券は、今も使える?
日本銀行券には、今も通用する古いお札があります。当てはまるお札は、今も通用する昔のお札で紹介しています。
「紙幣」と「銀行券」は違う?
今の日本のお札は、正式には日本銀行券です。言葉の違いは貨幣・紙幣・硬貨・通貨の違いで整理しています。
- 兌換紙幣は、金や銀に替える約束つきのお札。不換紙幣は約束のないお札で、値打ちがないという意味ではない
- 日本銀行券は1885年に銀兌換で始まり、1897年に金兌換へ。1931年12月に金との兌換が止まり、1942年の日本銀行法で兌換制度がなくなった
- 金の輸出を止める・再開すること、兌換の停止、金本位制からの離脱は別々の出来事。資料によって区切りの年の書き方が違う所がある
- 今の日本銀行券は金に替えられないが、日本銀行法で「法貨として無制限に通用する」とされる。値打ちの安定は金融政策で保つという考え方


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